前回
僕は「発信」を義務ではなく散歩のようなルーティンや趣味と捉え、得意かどうかは気にしておらず、自分の思う真の得意分野は実装やファシリテーションだと思っている、という旨を書きました。
反響
この記事を読んでくれた方から、以下のコメントをもらいました。
「苦労と思わずにできて好評価されるのは得意なこと」でしょうね。
第4回 得意なことを伸ばすのが経営 | 任天堂の岩田社長が遊びに来たので、みんなでご飯を食べながら話を聞いたのだ。 | ほぼ日刊イトイ新聞
リンク先を読んで、僕が要点だと思った、 任天堂の岩田前社長の発言は以下の2箇所です。
「自分たちは、なにが得意なのか。
自分たちは、なにが苦手なのか。
それをちゃんとわかって、
自分たちの得意なことが活きるように、
苦手なことが表面化しないような方向へ
組織を導くのが経営だと思います」
自分たちが
すごく苦労したと思ってないのに、
妙に評価してもらえるときというのは、
ほっといても、どんどんいい結果が出て、
いい循環になって、どんどん力が出て行く状態。
それが自分たちに向いている得意なこと。
そうじゃないことは
向いてないことだというふうに、
だいたい判断していたような気がしますね。
思ったこと
得意か苦手かが自分でわからないものがある
得意なこと、苦手なことが自分でちゃんとわかっているなら、この考え方は再現性が高いと思います。が、自分で得意か苦手かわからないまま取り組んでいるものは、どうすればいいんでしょうね?というのが、読んで思った率直な感想でした。
発信は得意と言ってもらえるのでそれを信じることにしますが、わからないのは得意とも苦手とも言われることのない実装やファシリです。これらは仕事としてやっていますが、前回の記事でいう
自分が仕事にしていることには自信と誇りを持って得意だと思い切るべき
というスタンスが僕の場合はあって、得意の裏付けが自己評価しかないというのが今の問題点だと思います。
実装やファシリについて他人からの評価を聞く機会はあまりありません。もし、周りにフィードバックを求めて「ええ、優秀だと思っていますよ」と言われたとしても、それがお世辞である可能性があります。反対に、「まだまだだね」と言われたとしても、内心では一定以上の水準をクリアした上で高い水準で評価してくれていたりもします。なので、正直身近な人からのフィードバックは学ぶことはあれど市場価値とは直結しないと思っています。
どんな仕事も高水準を期待されている以上周りからの評価は厳しめになりますし、それをそのまんま受け止めて得意か苦手かを判断するのは違うかなと思います。
書いていて思いましたが、フィードバックを周りに求めるのではなく、プロの講師など中立な立場の専門家にフィードバック求めるのは良いかもしれません。確かに、自分のファシリスキルはどこからきているかというと、本で読んだ内容を仕事で試してみた我流のものでしかありません。一度体系的に学ぶことでファシリテーターとしての自分の市場評価を測ってみたり、認定を取ってみて「得意の裏付け」をしたりしてみたいと思いました。
途中からファシリの話ばかりになっちゃいましたが、ちなみになぜそこまでファシリファシリ言うかというと、仕事で1日2〜3時間の打ち合わせをずっとやっているからです。打ち合わせスキルで給料の何割かをもらっているということです。なので今の仕事を続ける以上、ここを伸ばすことが大事だと思っており、打合せが苦手だと感じるようなら今の仕事を辞めたほうがいいと思っているという側面もあります。
実装とかも同様に、客観的に得意に見えるのかどうかではなく、自分ならやれると思ってとにかくやってみているのが、率直な今の自分の状態です。なので、自信も大事ですが、組織的に自分の得意なことが活きるように、自分の持つそれぞれのスキルについて市場評価を測っておくことは大事だと思いました。
苦労と思うか思わないかの違い
一方、前回の記事で抜けていた観点がありました。それは、発信を多くの人は苦労と思うかもしれないという観点です。
発信をお菓子作りに変えると、僕は正反対の立場になるのでそれはとてもしっくりきます。
「人に何かをしてもらってお礼にお菓子をあげたら喜んでもらえた」と言う書き込みを見て、真っ先に思ったのは「お菓子を手作りできるって凄いな。絶対、手間がかかるだろうに」だったんですが、続きの書き込みが「作るだけで楽しくて、喜んでもらえると作りがいがある」で更にびっくりもしつつ、「あ〜、そうなのか、好きだからこそ苦労と思わずにできるんだ」という納得感もありました。
ちなみに、僕にとって発信は苦労とは思わず、実装もそれほど苦労とは思いません。ところがファシリは苦労して本を読み色々勉強して取り組んでいるという自覚があります。準備に結構な時間を費やし、ストレスも伴う活動です。
岩田前社長の理論では、苦労だと感じる時点でファシリは僕にとって向いてない仕事ということになりそうですが、やる気があるものを向いてないと言い切るのは勿体無いような気がします。
確かにファシリに苦労する時間を捨ててもっと発信活動に振りきれば、たぶん今よりもっと専門的で頻度の多い発信ができて、一目置かれるかもしれません。でも、ファシリは苦労はするけど発信にはない楽しさがあります。集合知が集まってそこで何かが生まれていくのを導くことは会話や人間関係の醍醐味です。それに、つい2年前までは持っていなかったスキルというかアビリティなので、単純にワクワクします。
とはいえ、最初から苦労と思っていなかった発信や実装と、苦労と思っているファシリは、やはりちょっと違うのかな、とは思います。
まとめ
僕は多くの人が苦労と感じる発信について苦労と感じないのは確かなようです。だからこそ発信を散歩のようにできるところがあって、「得意な発信を仕事にしてみては?」と言われても「いやいや、だって散歩を仕事にはしないでしょー」とずっと思ってたんですが、他人の言う得意は確かに得意として受けとるのがいいんじゃないかなと思ったという話でした。
一方、苦労と感じているファシリについては、なんらかの方法で僕がそれをやる市場価値を一度測ってみて、今後伸ばしていくか現状維持程度に留めるかを考えてみたいと思いました。